ブログ 【日高摩梨 広島からの旅立ち】

 

この1枚のはがきが私のシャンソン人生に大きな転機を運んでくれました。 まだ私が銀巴里に出ていた頃の名前「日高れい」としてバンドネオン界の最長老佐川峯先生のお店「カナロ エン パリ」でシャンソンの弾き語りをしていた頃、ある方のご招待で2度目の来日となるジャクリーヌ ダノさんを紹介してくださり、初めて彼女の生の歌を聴く機会がありました。 その魅力的な歌唱法は、レアリズムシャンソン(現実派シャンソン)と呼ばれるジャンルで、国立音大で習得した音楽の三要素「リズム・メロディー・ハーモニー)とは別の次元のものと知りました。 何も考えず、ただただ嬉しさのあまり差し上げた絵葉書に、暫くしてこの絵葉書が雨の中、歓びの涙のように滲んで届きました。 その年私の弾き語り人生は七年続いたその「カナロ エン パリ」がお店を閉じることとなり、市内に小さなシャソンの弾き語りの店「ラ ヴィ」を開店。 でもあの時の衝撃が忘れられず、常連の客様の強い勧めもあり翌年末、毎年末からパリにスケッチ旅行するという方にご紹介いただいて同行することになりました。 歓びに胸弾ませながら、ただゆけることが嬉しくて彼女にいただいた名刺を頼りに辞書を引いただけのフランス語?で、「何日パリにゆきます」とファックスしました。 とうとう出発前日という十二月末日パリからファックスが入ってきました。 いぶかりながら読み進めると、パリ在住のジャーナリスト長南さんからのもので、「ダノが会いたいからスケジュールを知らせるようにと言っている・・・・・」との伝言。 絶句しました!! たった一度お会いしただけの人間に、ここまで気を配ってくださるジャクリーヌさんに心を打たれました。 再会当日「彼女はモガドール劇場でお芝居の稽古があり、さほど長い時間は作れないかもしれないけれど、それでもよろしいですか?僕は風邪をひいて行けないので、友達の中島君が行きますから心配しないように」と電話がありとました。 昼過ぎには予定を繰り上げてホテルに戻り オ メ カ シ・・・・・ 約束の時間に中島さんが来られ、その後追い付くようにダノさんが、夫君のミッシェルさんと新しくないプジョーに乗って見えました。 「パリは物取りや車上荒らしが横行するので古い車にしたのよ」とニコニコ! 説明を聞いて納得、パリの街を走っている車ってホントひどい恰好が多い事、バンパーがぶら下がったり、ナンバーがガムテープでぐるぐる巻き、ドアが片方透明ビニールをガムテープで目張り・・・・おまけにトレラーのけん引する金具で相手の車のバンパーをゴンゴン押して除けて止めたり出したり・・・・・ 日本だともう器物破損の傷害罪で御用!!!の話。   紹介なぞそっちのけで、目が合ったとたんハグハグ!! お~~~なんちゃらかんちゃら!!! 結局五名でサンルイ島の行きつけのお店に食事をしに行こうということになりましたが、たまたまその店はお休みで、仕方なく次の店に・・・・・ なんと食事が決まるまで一時間・・・・・・ギャルソンも心得たもので壁の花。 やっとワインが決まり注文!ところがミッシェルが試飲してダメ!出し。 彼は「シュバリエ ダノ」というシャトーを持っているくらいですから、通常なら決めた銘柄に対してダメは出さないと聞いているだけに・・・・・・・ さてメニュー・・・・・・・またまたひと談義 ダノさんが、メニューに小ウサギの料理があると説明、「日本では可愛いものにはみんな小(こ)を付けるのですよ!というと  「お~~~~!コマリ コダノ!!!と互いを指さして茶目っ気たっぷりに、こんなジョークは私には思いつくことすらできません。

お互いに赤と黒という打ち合わせたような色合いにまたびっくり!の感激!! 「今日からあなたは私の家族だからジャクリーヌと呼んでね」と言われて、どこまでも気遣いの深い方だと感じましたが、長南さん曰く「ダノは珍しい人だ、なかなかフランス人でもここまでできる人は少ない」と言っておられました。 楽しい時間は早く過ぎるもので、あっという間に午前様・・・・・・ ホテルまで送ってくださる車の中で五人がシャンソンメドレーで大はしゃぎ。 ミッシェルは一人でボトル三本あけての飲酒運転・・・・シャンゼリゼを八〇キロでぶっ飛ばしながら上機嫌。 中島さん曰く「パリでは飲酒運転はご法度ではないんですよ、でもいったん事故を起こすと大変ですがね!」とにこやかに・・・・ それも決まりがあって右側が優先なので、右を意識して運転すれば、ぶつかっても自分が右側にいたらよいのだそうです。 それなりに工夫はあるものだと感心・・・・  

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